生活風景

→承前

 規則正しく揺れる窓の向こうに、星空。銀河。星雲。そして。


「あ、おっきい」
 と歓声を上げる妹と同じようなことをタロウ・アカイは思った。駅を出てから暫くは物珍しさに窓に顔を近づけて外を眺めていたものの、飽きて、眠くて、うとうとしかけていたところだった。
「今日から、あそこで暮らすんだよ」
 父が言う。
「そうなんだ。どんなところ?」
 妹が問うた。
「中は、あんまり地上と変わらない感じがするかもしれないな。つくっている時は、何のそっけもないた空っぽの箱だったけど、今は違う」
「ふ〜ん……」
 生返事だ。つまらないと思ったのかもしれない。タロウは大きく息を吐いた。
「まあそうだな。そんなに変わらないかも知れない。学校もあるしな」
 えー、と言う妹を尻目にタロウはこれから自分が暮らす場所を見つめている。宇宙に浮かぶ円盤状の宇宙都市、コスモスはさっきより大きくなっているような気がした。
 列車は、変わらず律儀にガタンゴトンと揺れながら、空を登っていく。新たな人の生活の場へ。変わらぬ人の営みの行われる場所へ。

→居住区画 →→双子座マンション304号室 →→→タロウの部屋 AM07:24

 

タロウは布団の中で大いなるまどろみに身を委ね、その甘美な心地よさを盛大に享受していた。四肢を優しく包む毛布は暖かく、重く、意識を忘却の彼方へ誘ってくる。
 我知らず呻いたところで……彼の妹が容赦なく布団と毛布を剥ぎ取った。
「お兄ちゃん! もういい加減に起きないと遅刻!」
「うう。ハナ、お前、何するんだ……」
 敷布団の上で胎児のように丸くなるタロウ。その様子を見て、ハナ、彼の妹御年10才はため息をついた。
「私もう学校行くよー。お父さんも早番でいないんだから。自分で起きないと誰も起こさないんだからね」
「ああ……そうか」
「わかったらほら。私もう行くからね」
 そう言って、ハナはランドセルも勇ましく部屋を出て行ったのであった。

→同場所 AM08:25

「おわっ。遅刻!」
 と言わずとも遅刻である。タロウは何時の間にか被りなおしていた布団を蹴っ飛ばし、自分の狭い部屋(それでも個室なんだからいい方だ)をわたわたと動き回って着替えをしてかばんを引っつかんで寝癖を揺らして、飛び出した。そして、忘れ物を取りに一度戻った。

 外は、快晴だった。立体スクリーンに写されてゆっくりと流れる小さな雲も麗かな。文句なしのお天気である。のだが、タロウは土砂降り気分で走っていた。駅までは走って15分、それでぎりぎり次のモノレールに間に合う。モノレールで10分、駅から学校までで10分……間に合うか。本当は間に合わないのだが一縷の望みと言う奴にかける人の心は楽観することを望むんである。
 マンションと一戸建ての建物が並んだ住宅街の花壇を揺らし、駅前の八百屋さんやお肉屋さんや雑貨屋さんなんかが並ぶ商店街を走りぬけ、交番の前でゆるゆると尻尾を揺らしながら立っているおまわりさんの前を息をからしながら。転ぶなよー、とわんとほえる犬のおまわりさんに後ろを向いて不自然な体勢で会釈を送り、タロウは双子座駅に飛び込んだ。定期を掲げる手も慌しく、既にホームに入ってきているモノレールに駆け込む。直ぐに路線を敷き返らたり増やしたり出来るように駅は簡単なつくりになっているのである。アナウンスが流れた。えー、かけこみぃじょうしゃぁ、おやめくだ、さい〜……

→居住区画 →→満天星宇宙学校 →→→高校クラスA AM09:18 授業中
「これは……テストと関係なくみんなにはわかって欲しいんだが。大事なのは、憎しみの果てには、何もないってことだ。今はそんなことは考えられないかもしれないが、そこだけはわかって欲しい。今じゃなくても構わん。いつかでいい……わかったか、タロウ」
 並んだ机の後ろのスペースから気付かれぬように(無理な話である)自分の席に到達しようと匍匐前進していたタロウは、ぎくっとした。白い目と、くすくす笑い。そして、静かになる。
「お前が遅れちゃ話にならんだろーが。タロウ、起立!」
 鬼女ジョセフィーヌの異名を取るジョセフィーヌ・モンモール先生の鋭い声に直立するタロウ。
「私の授業に遅れるとはいい度胸だな。放課後。指導室に来るように」
「…………」
「返事は」
「……はいっ!」
 タロウはぐったりと……表に出すとまた何を言われるかわからないので、内心、ぐったりとした。

→港湾区画 →→ロジスティクスセンター →→→鉄道管制室 AM10:38

「アカイさん、111、C47便コンテナ日延べだそうです。行き場がないと」
「またか。詰め込みすぎだなあ」
 リョウタ・アカイはため息をついて荷物の予定表を見て、ため息をついた。開始した直後で多少無理してでも荷を扱わなくてはならないのだが、そうなると困るのは実際に扱う人間。ではある。エンジニアのリョウタは、建設初期に関わった功績で管理職になったのだった。タロウの父である。
 管制室の窓から外を見る。無重力空間をガイドカーに引っ張られるコンテナが黄色い警告等をぐるぐる回しながら行き来している。作業計画は綿密に練っているはずなのだが、それでもコンテナの集積場は、列車から下ろす荷、積む荷、倉庫へ運び込まれる荷、倉庫から出す荷。壁にいくつも空いている搬入出口は一杯だった。建設中はだだっ広く感じたものだが、いざ使ってみると手狭になる。
「こりゃ早い内に拡張したところだな」
 部下は応えない。モニターに顔を向けて、目だけリョウタを見ている。
「まあ仕方ない。居住区画の倉庫を模様替えだ。重力下の作業は存分に注意するようにと伝えてくれ」
「了解しました」
 そうして、リョウタはモニタをチェンジ。ここは宇宙が見えないのが難だ。と思った。

→居住区画 →→満天星宇宙学校 →→→高校クラスA PM00:19 昼休み

ざわざわと打って変わってにぎやかな教室に、タロウは荷物を抱えて戻ってきた。友人が固まって座っている一角に混ざる。
「あー。やばいなあ。鬼女に目えつけられた」
 購買で買ってきたパンを目の前に頭を抱えるタロウ。
「まー。仕方ないよ。マジだったからな。今日は。目こんなになってたし」
 級友ワンが笑いながら自分の目を吊り上げる。
 クラスで友人同士一緒になってお昼である。高校生の昼休みである。
「怒りっぽいからな。だから結婚できないんだぜ」
「きっついよなあ。気のせいか眼鏡まできつく見えるし」
「何言ってんだ。まじめな話だろう」
 と最後にきつい声がした。タロウたちが一斉に見る。同じクラスのヨハンだった。
「何だよ。確かに大切な事だって解ってるよ」
「どうだか。口でならいくらでも言えるしな」
「何……!」
 教室が色めきたった。満天星国の歴史に刻まれる血腥い事件が起こったのは、まだ、記憶に生々しく。
「先生が言ってたのはな。歴史上のことでもなんでもないんだ。直ぐこの前起こったことで、まだ新聞だって続報が載っている、そういうことなんだよ」
 教室の生徒達が静まり返る。誰にも、何か言うのが憚れた。
「だからな。おふざけやなにやらやっていいことでもないんだよ……」
 ヨハンの声が、少し枯れた。
「はい。ちょっと授業始めますよー。こんにちはー。臨時講師のあ……」
 シーン。教室中の空気が更に静まり返る。
「あれ。お呼びでな……い……といいますか」
 生徒達が、しらけた顔で席に戻っていく。タロウも自分の席に戻って、ちらりとヨハンを見た。ヨハンの顔は真っ赤だった。

→港湾区画 →→ロジスティクスセンター →→→鉄道貨物検査所 PM14:38

ガイドに沿って運ばれてきたコンテナを停止し、扉が開かれた。リョウタは中に入りつつハンドヘルドを操作。傍らの専門官に話しかける。無重力なので身体が浮いている。
「これですね。研究所のメイン試験タービン……」
「ええ。これで本格的に無重力空間物質の研究が進みます。研究員が涎たらして待ってますよ」
 二人で荷のコードを読み取っていく。ピ、ピ、という無機質な音がなる。こればかりは、少しもおろそかに出来ない、荷だった。
「宇宙技術の開発か……これが進めば、満天星国は、満天星国になれるかもしれない」
「……どうですかね。まだ、お互いが信用出来ない。自分だって怖い。そしたら、いつか何かが破綻する日が来るかもしれませんよ」
「そしたら、我々は一巻の……」
 そう言ってリョウタは手で爆発する仕草をして見せた。
「どこかで、止めなくちゃいけないんだ。憎しみの連鎖は。それには、何かと誰かが必要なのさ」
「誰かって誰です?」
「そうだな……」
 リョウタは天を仰いだ。

→港湾区画 →→商業街 →→→メインストリート PM16:59

 

港湾区画と居住区画をつなぐハブの部分を、コスモスの住人は商業街と呼び習わしている。港湾区画の倉庫、つまり、地上から宇宙から鉄道と艦船でやってくる人の玄関がここで、そのため、ホテル、レストラン、最新のファッション、情報データ、本、音楽などが集まっているからだ。商社など経済や宇宙都市行政のための施設もこの地区にあるため、人と物が集まっている。そのメインストリートは大きな空間で、中央を小型の常用エアカーやトラック型エアシップが走り、エアネットで分離された外側を人がガイド気流に乗って泳いでいた。
 タロウはやっと鬼女ジョセフィーヌのお説教から解放された開放感と、この前の事件の記憶からくる重々しい気分を両方抱えて……ブックデータストアに来た。データダウンロード端末と古色蒼然たる本の並ぶ棚を間をゆっくりとお目当てのものを探し回る。
 あった。人が昔、月へ初めてやってきたことを書いた小説である。タロウはその本を手に取って、レジへ向かった。

→港湾区画 →→商業街 →→→モノレール内部 PM17:42

 

帰りのモノレールは混んでいた。中でぎゅっと押し出されて人にぶつかり。タロウがすみません、と謝った相手は、ヨハンだった。「ああ……」
 とヨハンは呻くように言って、押し黙った。
(うう、しまったどうしよう……)
 学校でのことがあって気まずい。何か、話したほうがいいんだろうか……
「えーと……何してたの?」
「いや、別に」
 瞬殺。ちくしょー。逆に何となく恨みがましい気分を覚えつつ、ヨハンが抱えているものを見る。
「あ。キャプテン・タルクのディスク」
 ふとつぶやいたタロウの言葉に、ヨハンは恥ずかしそうに横を見る。
「好きなんだ、キャプテン。僕も好きなんだ。3話でさ。キャプテンが宇宙に放り出されそうになったキンキンを助けに行くところとか。かっこいいよね」
「ああ。でもやっぱり1話で、グランパと話しているところ。あれに全てが詰まってて、いいと思う。宇宙を見上げて。そこに向かう。そんな感じがしててさ」
 とまで言って、ヨハンは気まずそうに黙った。だがそれは何も言わないことにした。何となく、気持ちは解った。
「そうだね。僕も宇宙、好きなんだ。今日は、初めて人類が月に行った小説を買ってきた」
 そう言ってタロウは自分の持っていた包みを示す。それに視線を注いだまま、ヨハンは黙っている。あれ。喋りすぎちゃったかな……
「俺さ」
 たっぷり1分は黙った後、ヨハンが言う。
「パイロットになりたいんだ。宇宙船の」
 ぼそっと、ヨハンが言う。
「そのためにどうすればいいか、調べてる。今日もパイロットになるためのデータを買ってきた。家でダウンロードしても良かったんだけど。DVD届けるのは、送料が高いから。ついでに」
 少し呆気に取られてから、それではいけないと思いついて、タロウも慌てていった。
「僕も、宇宙船に乗れる研究者になりたいんだ。そして、まだ誰も行ったことのないところに行ってみたい」
「ああ……そうか……ああ、行きたいよな。誰も行ったことのない」
 何となく、黙った。モノレールが出発してから、この時間になると、天井の向こうが透明になって、宇宙が見える。
 満天の星空を二人の少年が、見上げた。


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